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2010年 09月 17日
あっという間の1週間。アキさんは体重も順調に増えて日に日に丸くなっていきます。 ヘルプの両親がいるおかげで自由時間がたくさんあるので、今のうちに出産の記録を。 今回も、ひとりめと同じく、無痛分娩を希望していました。 イギリスNHSでは完全無痛ではなく、ある程度陣痛に耐え分娩が進んだところで麻酔が入るのですが、前回、赤ちゃん誕生まで余裕を持って過ごすことができ満足のいく楽しいお産だったので、また同じように・・・とバースプランにEpidural(硬膜外麻酔)を入れておきました。 でもやっぱり、というか想定外のことは起こるわけで、希望叶わず「麻酔なしで自然分娩」になりました。痛みに弱い私でもなんとかなって赤ちゃんが生まれましたが、心身とも激動の3時間はまるで別世界にいたようで、もう遠い昔のことのようです。 8日(水) 9.00am いわゆる「おしるし」(英語でshow)があり、ユミ夫と滞在中の両親に「あと1、2日で生まれると思う」と話す。痛みはなし。 9日(木) 0.30am かなりの出血と腰の痛み。病院に電話すると「来てください」と言われ、「たぶんすぐに帰宅させられるよねー」と言いながら、ユミ夫と病院へ。車で5分という近距離なのが有難い。1.30から2.45まで産科病棟のベッドで横になる。産科医が出血原因を調べ問題のないことを確認、ついでに細菌感染がないかどうか検査も受ける。(この検査の結果は、出産後退院してから出た・・・遅すぎマス) 10.00am頃 医師から「面倒でも、出血のある度に病院に来ること」と言われていたので、再びの出血に病院へ。腰が痛い。産科病棟で赤ちゃんの状態を確認するためモニター観察。子宮口開大2cm。お産につながるよう子宮口を刺激するsweep処置が行われる。この処置、ものすごく痛い!と友達から聞いていたけど、まったく痛みを感じず気づかないうちに終わっていた。お昼過ぎ帰宅。母に「寝てなさい」と言われたけれど、前回の経験で「ここで寝たら出産まで時間がかる」と思い、あえて外出、近所で散歩&お茶。 5.00pm~ 帰宅後みんな疲れていったんお昼寝。私はベッドに横になるとなぜか腰が痛むので、結局起きて床に座ってウトウト。気づくと、座っていても痛い。ユミ夫に「寝てても座ってても腰が痛いけど、定期的じゃないし、陣痛じゃないと思う」と話す。今夜以降出産になる可能性も考えて、早めのシャワーを浴びる。 7.00pm 夕食。母が作ってくれた夜ごはんをモリモリ食べる。ステーキがおいしいねぇ、なんて話しながら。食事中も時々腰の痛みが襲うけど、みんなでしゃべっているとあまり感じなくて、「やっぱりただのback painか」と余裕綽々。 7.45pm 食後いきなり、今までとレベルの違う腰痛がガツン!と来て、「ただの腰痛じゃないかも」と(気づくの遅い~(>_<))、慌ててTENS*装着。TENSは早い段階で着けないと効果が出ないのだけど・・・。病院に電話すると、陣痛の有無を聞かれる。ふたりめだというのに、「ひどい腰痛はあるのだけど、陣痛かどうかわからない。でも5~10分以内に次の痛みがくる」と話すと「一応いらっしゃい」と言われ、病院へ。 *TENS machine: 手のひらサイズのコントロールボックスからつながる4つのパッドを背中に貼り付け、電気による波動を流すことで痛みの神経伝達を妨げる。体に備わっているエンドルフィン(鎮痛力)を刺激する作用もあり、陣痛初期から使用するのがポイント。出産予定日3週間前にレンタル。 8.45pm 産科病棟の受付に到着するも、なんだかものすごーーーく混んでいる気配で、待合室にて待機。他にも待機カップルが2組。今夜は緊急手術が多いらしく、イヤ~な予感。この時、痛みの間隔をユミ夫がはかっていて、すでに4分間隔。はかってくれるのはいいけど、「次まであと2分!」とかカウントダウンするのが、もっのすごいアリガタ迷惑だった(-_-) 病棟内を歩いていて、痛みが来ると、ウッと立ち止まる程度の痛み。 9.00pm 助産師のみがいるエリアの1室に案内される。 イギリスの病院では、だいたい産科(医師が関与するのでハイリスク出産の人や麻酔で無痛分娩を希望する人が入る)エリアと、助産師さんエリア(ローリスクで自然分娩を希望する人が入る。医師の介入がないので、無痛分娩に使うエピヂュラルと呼ばれる硬膜外麻酔も使えない。ただし、笑気ガス Gas&Air や痛み止め注射ペシディンの使用は可)に分かれている。私は前回のように「エピヂュラルを使った無痛分娩」をバースプランに入れていたので、産科に入りたかったけれど、やはり前回のように「たまたまその日に緊急手術がたくさん入って産科に空き部屋がないので」助産師エリアに連れて行かれた。 部屋は全て個室(バス・トイレ付)で、ベッドの他、痛み逃しのバランスボールやストール(簡単に言うと便座のような感じの椅子。背もたれの他、前かがみになって掴むための布が上から下がっている)、ビーンバッグがある。 助産師に「エピを使って無痛分娩を希望しているから産科に空きが出たら移してほしい」と伝える。ところが、この助産師さん、「これまでの経過を聞くと進行が速いし、子宮口が6cm開いていて赤ちゃんの頭も触れるから、たぶんここからあっという間。産科で空きが出るまでに赤ちゃんが生まれる可能性が高いから、ここでがんばりましょう。大丈夫、you CAN do it!」と「アタシが取り上げてあげるから任せときなさい」って感じで自信満々。エピが間に合わないならペシディン(痛みブロックの注射。効果は2~4時間持続)を使いたいと言うと、「赤ちゃんにも効いてしまい、生まれた時に眠った状態に近い感じで出てくるから、私はしたくない」と要求を却下され、(なんか、この助産師さんイヤかも・・・)と思ってしまう。それでも、頻繁に産科に空きを問い合わせるということで合意。痛みがけっこう強くてTENSの強度も上げ、笑気ガスも使用。ベッドに横になると痛みがひどくなるので、気休めで持っていったソフロロジー(和痛分娩)の本を読みながらバランスボールでゴロゴロ動いている状態。血圧・体温を測定しながら、赤ちゃんの心音チェックを15分ごとに行う。 10.20pm 再び産科に問い合わせるも、緊急手術続きで移動叶わず。助産師から「人工破水すればお産が進んでこれ以上長く痛みに耐えることもないけど、どう?」と聞かれたけれど、「絶対しません」と拒否*。以前ヨガの先生から教わったとおり、スピード出産=安産ではない、と思っていたことや(お産のスピードが速いと体がついていかない。後の回復のためにも徐々に体が慣れていくほうがよい)、心のどこかでまだエピヂュラルに頼る気持ちがあって「お産が進むと麻酔するヒマがなくなっちゃう」と思っていた・・・。(そんなにエピがいいのか?!と思うけれど、自分は出産の痛みには耐えられないという恐怖心が強かった。)この辺で、ボールに乗っているのに疲れてしまい、便座椅子のようなストールにかえた。赤ちゃんの心拍がちょっと速かったのでモニター観察。問題なしとのことで5~10分ほどでモニターを外す。 *「絶対に人工破水はしない」と言い続けたのは正解。退院後、出産前日に受けた検査でGBS(B群溶連菌)感染が確認され、本来なら分娩中も抗生剤治療を点滴で受け、生まれた赤ちゃんも感染予防のため抗生剤を与えられ産後24時間観察入院となるはずだった。赤ちゃんへの感染は、破水後に産道を通る過程で起こることが多く、破水後から赤ちゃん誕生まで時間がかかるほど感染リスクが上がるのだとか。私の場合、分娩までに検査結果が届かず、感染していないものという前提でお産が進んでいた。赤ちゃんが生まれる直前の破水だったので、感染リスクはほとんどないとの話だった。 11.00pm 助産師はメインの人の他にアシストの計2名。15分ごとに赤ちゃんの心拍確認と私の血圧測定以外は、少し離れたところで様子を見守っているのみ。時々呼吸が乱れると近くにきて「深く吸って~」とか声をかけてくれる。何もしていないように見えて、細かいところまでよく観察しているらしく、「あなたの呼吸の仕方や痛みの間隔からすると、もうすぐ生まれそうだから」と、どこで(ベッド、床、椅子など)産みたいか、胎盤娩出を助ける注射を打ちたいかなど色々と聞かれる。「もうすぐ」と言われても、前回分娩体勢に入って12時間近くかかっているので、今回もまーだまだ、と心の中で思っており、この期に及んでなお「産科は空かないの?エピはまだできないの?」と聞く。助産師に繰り返し「大丈夫、あなたならできるから」と言われても「this is NOT how I wanted!」と叫んで抗議。助産師相手に怒りまくって体力消耗。もう「痛い、痛い」しか言うことはなし。 11.30pm 「どのへんの痛みがいちばん強いか」と聞かれ「お尻のあたり」と答えると「good sign! じゃ、もう生まれるわね。push(いきむ)したくなったら教えて」と言われる。でも私は分娩終盤に入っている意識ゼロで、「こんなもんじゃ生まれないでしょう」と思っていた。ところが「これが痛みのmax」と思っていた痛さがまさかのレベルアップ。TENSの効果ももはや感じられず、これ以上の痛みには耐えられないと思った瞬間、パニックで「息ができない!」と過呼吸に。2人の助産師とユミ夫の「鼻から息を吸って!」という声が聞こえたけれど、もう自分はそこにいるのにいないような、どこか別世界に飛んでしまったような変な感覚で、この辺り記憶もおぼろ・・・。(分娩終盤で眠たくなるにんぷさんがいる、と聞くけれど、私は、眠いというか半分意識がないような状態で、もう何が何だかわかりません、って感じだった) 目もほとんど閉じていたように思う。 9月10日 00.00am 日付が変わって日本の産院で言われていた「予定日」になった。いつも「予定日まではお腹でゆっくりしててね」と赤ちゃんにお願いしていたので、時計が夜中の12時を過ぎたのを見て「あー、もう生まれるのかも」と冷静に思う。ひどい吐き気が襲ってきて「なんか気持ち悪いよー」と訴えているのに、この時すでに赤ちゃんがすぐそこまで来ていたようで、私の声は誰にも届かず助産師2人とユミ夫が何やらワーワー言っている。(何言われてたのか、いまだにわからない) push(いきむ)感覚というのがいまいち分からず(ワタシ、本当に経産婦・・・?!)、でもまぁそろそろトライしてみるか・・・ってそんな程度にpush。 00.15am ほんの数回のpushでポンッと音がして破水、助産師のSTOP!と繰り返し叫ぶ声が聞こえる。よく聞く「焼けるような痛み」にヌルリとした感触が続いて、あっという間にへその緒がついたままの赤ちゃんが腕の中に。文字どおり「おぎゃぁおぎゃぁ」と元気に泣いている赤ちゃんに、これまた号泣の私。ユミ夫がへその緒を切る。そこへ産科から「部屋も麻酔科医も空きましたのでどうぞっ!」と連絡が入る・・・・・(-_-) もーいやだよー、遅すぎだよー。 赤ちゃんにビタミンKの注射が打たれ、私は胎盤をスムーズに出すための注射をされ、後産終了。ベッドに移って会陰裂傷があったか確認の結果、まったくなしとのことで縫合不要。ふたりめのほうが強いと言われる後陣痛がしばらく続き、「え、まだ生まれてない?!」と思うほどの痛さにびっくり。痛み止めの薬を飲んで2時間ベッドの上で休息。 2.30am 2時間安静にした後一人でシャワーを浴び(助産師は忙しくてヘルプなし。「好きな時に勝手にシャワー浴びてね~」って感じだった)、↓回復室(シャワー・トイレ付個室)に歩いて移動。ユミ夫帰宅。 7.30am 担当した助産師2人が「シフトが終わって帰るから」と挨拶に来る。メイン助産師から、今回の件で正式に病院にクレームを入れたければ書面で提出してほしい、と言われる。「あなたが希望したようなお産にならなくて申し訳なく思う。でも、赤ちゃんが無事にこうして生まれてよかったでしょう」とも。麻酔無しの自然分娩でひとりめとは全く違ったお産が体験できて、そういう意味ではよかった、と思う。達成感もあったし、何より今回は自然に任せて進んだので、赤ちゃん主導のお産になった、という満足感もあった。 9.00am ユミ夫来訪。その後、助産師などスタッフが赤ちゃんの状態を検査するため、入れ替わり病室にやってくる。結果OKとなり書類が仕上がるのを待って、お昼、産後12時間で退院。帰宅後、病院から電話があり、きのうの検査の結果、溶連菌感染があるので分娩時に抗生剤が必要だと言われる。「もう出産して退院してきました」と言うと「え・・・。」。本来なら産後24時間は観察入院だけれど、もう退院してしまったならいい、との答え。ただし翌土曜日に病院で母子ともに診察を受けるよう言われる。(結果、問題なしとのこと) 今回は希望どおりの無痛分娩にならずクレームの手紙についても考えたけれど、自分はローリスクにんぷだったので産科に入れない可能性もゼロではなかったし、お産の進みも速かったし、仕方がなかったのかもしれない。強いて言えば、助産師との相性が良かったとは言えず、産後、ユミ夫は分娩中の私について「とにかく何から何まで助産師に反抗していた」し、「そういう負の感情に無駄なエネルギーを使うことを心配していた」というようなことを言っていたほど。相性はともかく、出産を振り返ってみると、経験・自信とも十分にあってかなり腕のいい助産師さんだったと思われ、彼女だったからこそ、私でも自然分娩を乗り切れたのかなー、と今はどちらかというと感謝の気持ちが強い。クレームの手紙じゃなくてお礼状を書くべきかしら・・・。
by yuminsurrey
| 2010-09-17 21:03
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